2018年4月13日日記

「自分を信じて、今できることを」わたしものがたり(その2 )

「自分を信じて、今できることを」わたしものがたり(その2 )

私のこと。(興味ない方には参考にならないブログ)

皆さんこんにちは。

今日も超個人的なブログです。

これは私が睡眠指導士になるまでのことを、徒然なるままに書いています。

そう、それはまさに「小林一茶」のように。

小林一茶っておいしいの???

・・・そうかもしれないね

そもそも、つれづれなるままに書くことが小林一茶なの?

・・・シーーーッ!!!

ふとしたきっかけで、人生の転機がくることもある

大学時代のとき、母方のおじいちゃんが亡くなりました。
平成6年の時です。

 

そのおじいちゃんは一代で農機具店を始めました。
その前は三菱で働いていました。

 

ピーク前に初めて、ピークが終わるとスパっと店を閉めちゃいました。

 

その当時は相当販売しててすごかったらしいです。

修理も一緒にしていたので、いろんな農家の人が入れ替わりしていた記憶があります。

私の中でのおじいちゃんのイメージは、町内に公園を作ったり、なにやら農機具のイメージというよりも町内のことに一生懸命だったイメージがあります。

 

割と厳しいおじいちゃんでした。

でも、孫である私たちには優しいおじいちゃんでした。
風呂に入って「100まで数えろ」はこのおじいちゃんが教えてくれました。

 

そして、平成9年、父方のおじいちゃんが亡くなりました。
今のさんわをこれまた一代で築いたおじいちゃんでした。

 

財布を持たない人で、ポケットの中には札がそのまま入っているという人でした。
普段着の洋服を持っていない人で、背広姿の記憶は全くありません。

 

祖父を相次いで亡くすと、その時の私は
「じいちゃん達は人生の中で何をしたかったのだろう?」と思うときがありました。

 

しょぎょうむじょー(諸行無常)という言葉は聞いたことがありましたが「楽しく生きる」というよりも「仕事にしか生きない」というイメージですね。

そんなことより散歩いこーよ。

・・・今、いい話の最中なんだけどね

 

その頃の私は、バイクに乗っていたので、将来は「山と崖とかを駆け上がるモトクロス選手」になりたかったのです(笑)

でも、転んだりして痛いのは嫌いです(笑)

 

でも、その夢は「目が悪い人はなれない」ということをどこかで聞いて、すぐにあきらめました(笑)

 

だってかっこよく見えたんですもん(笑)

 

その頃から、きもの屋でもいっかなー。なんてそんな感じだったのです。
なので、就職面接先はすべて呉服屋と卸屋さんでした。

 

でも、実家に帰って継ぐことになったら、小売りがいっか!ということで呉服の小売店に就職しました(適当・・・。)

これまで全て、適当人生だね!

やめろ

就職した会社は「急成長の呉服専門店」だった!

そして、無事に呉服屋さんに就職できました。

当時で50人くらい入社したと思います。今思えばすごい人数です。

 

その会社になぜ就職したかというと、
「35歳で社長を目指せ!」と書いてあったからです。
大学時代の純粋無垢な私は(笑)、その言葉がかっこよく見えて
そこにしました。

 

それは平成10年のことです。今から約20年くらい前になるかな?
(このブログを書いているのが平成30年、42歳の時です。)

 

面接するときには25店舗のお店でした。
何年後には100店舗を目指す!ということもかっこよく見えたのですが無謀なことに挑戦するという、ヴィジョンがある会社が好きだったのかもしれません。

 

 

最初の勤務地は名古屋市に配属されました。

 

「けっこうハードな会社でしたが」

私が最初に配属された名古屋のお店は、あまり成績が良くないお店だったようで、最初の50代の店長と、サブ店長(当時は部長と呼んでましたが)は

 

私が入社1か月ほどで辞められました。(・・・オイオイ)。ほかの呉服店からの引き抜きの方々でした。

 

当時はただ「あ、そうなんですね。」という感じだったのです。まだ、右も左もわからないペーペーでしたからね(笑)

 

入社して6か月でチーフを目指せ!というスローガンで頑張ることが最初の新人への目標なのですが、半年で1000万の販売目標でした。
(なかなか当時でも1年~2年くらいかかる人が多かったようです)

 

最初は、辞めた人から引き継いだ名簿にガンガン電話をかけるという「電話作戦」がスタートしました。

 

「実は私、吃音症という言語障害なのです」

吃音症(きつおんしょう)というのをご存知でしょうか?
「話すときに言葉が詰まる」という障害で、緊張したりすると言葉が出なくなるんです。

 

いわゆる「ドモリ」です。

 

知らないところへ、いきなり電話するって私からするととんでもないんです。緊張するとドモリますから。

 

「もしもし!〇〇(きもの屋の店名)の古泉と申します!」の「もしもし」が出ないんです。

 

どうも、タ行とマ行が出にくいようです。

 

なので、頭の中で一度、イメージトレーニングするんです。
「もしもし」という言葉をですよ(笑)

 

頭の中でイメージして、勇気を振りしぼって、ダイヤルするんです。電話に出られなかったらほっとするんです。(しゃべらなくていいので(笑))

 

 

電話に出られたら、緊張して言葉が出ないんです(泣)。

 

お父さんが出ちゃったりしたら、緊張がさらに高ぶって、何も声が出せないんです。
無言電話かと「ガチャ」っと切られるんです。

 

そして、背後には先輩や店長がいて、「いたずら電話してるんか?」って怒られるんです(笑)

 

つらかったです。
「落ち着いて話せ」と言われるんですが、本人は人一倍落ち着こうとしてるんです。

 

前回のブログで、英語が好きだったことを書きましたが、

前回のブログ ⇒ 「自分を信じて、今できることを」わたしものがたり(その1)

 

英語は日本語のように、なんかうまく言えないんですが、私の中では言葉が「とがってない」んです。

こんにちは ⇒ へろ~(hello)
ただいま帰りました ⇒ あいむほ~む(i’m home)
ね?わかります?やわらかいでしょ?

 

わかるかい!

そだね~

 

とにかく自分の中ではそうだったんです。

 

でも、仕事なので、頑張ってするのですが、すればするほど、きつくなるんです。

自分がわけのわからない何かに押しつぶされそうになるんです。

 

その反動からか、拒食症のような症状になってしまって、就職してすぐに20キロぐらい太ってしまいました。

 

それはいいわけだよね(笑)

・・・そだね~(泣)

 

そこで、私が何をしたかというと

「じぶん新聞」というものを作りました。
家に帰って、「新人の〇〇です!よろしくお願いします」みたいなのを作って封筒で郵送するんです。

 

 

「みんなと違うことには経費なんて出ないから、仕事中にはしてはいけない」
「だからと言って、通常の業務をしなくていいというわけじゃない」ことを条件に許していただきました。

 

 

マーカーや色ペンを買って、店は夜8時か9時まで営業してたので、その後家に帰って夜中まで作ってました。封詰めもすべて寮(借り上げ社宅)でしていました。

 

毎日2~3時までかかって睡眠不足との戦いでした(笑)

 

1000通ぐらいでしょうか。若かったからできたのかもしれません。

 

でも、それ以上にそれぐらい「電話作戦が嫌い」だったのです。

 

同じ時期に入った同僚の中には「電話好き」とういツワモノもいましたが、私は苦手でした。

 

続きはまた今度・・・(笑)

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