2018年4月11日日記
INDEX
皆さんこんにちは。
今日は超個人的なブログです。
だから何?って内容たっぷりののブログですwww
誰も読みたくないんじゃない?
わかってるけど、あえて言わんでよろしい
私、古泉は現在、長崎県大村市でふとん小売りと、振袖小売りの店長をしています。
自分のことを書いても、だれの得にもなりません。
もちろん、あなたにとっても。(笑)
ただ、私の足跡として残しておくくらいのブログです(笑)
変わった子だったのかもしれません。
当時両親は、ふとん店を朝から晩まで切り盛りしていました。
数人の従業員もいて、それこそ働くだけお客さんが増えるので
当時は車にお布団をたくさん積んで、「婦人会」と呼ばれる
奥様方の集まりの場所に行って、ふとん広げて販売していたそうです。
今でもそのお客様がさんわに来てくれます。
店にとっては財産であり宝です。
店は夜までしていたので、私は一人、当時通っていた三城小学校のグラウンドでボール遊びしていたのを覚えています。
誰かにもらった、(誰からもらったのかは覚えてませんが)ボロボロのサッカーシューズを履いて、サッカーボールを壁にぶつけて、跳ね返ったものをまた蹴りぶつける。
友達は、夕方5時過ぎにはご飯を食べだすので、遊ぶこともありません。
うちの家は毎日、8時くらいから夕飯だったのです。
夕暮れのグラウンド。今でも鮮明に覚えています。
寂しい思いをしたという記憶はありませんが、
家にいても何もすることがないので、外で遊ぶことをしていました。
お店は商店街の中にあり、人通りは多く、電気が煌々とついていたので寂しさは
全くありませんでしたが、当時のドラマやテレビ番組はほとんど興味がありませんでした。
というよりテレビをあまり見なかったので知らなかったのだと思います。
今思えばやんちゃだったのかも知れません。当時友達の「のぶ」と「たっくん」と三人で日曜日の学校に侵入し、理科準備室に入りました。
誰もいない学校、知らない世界。とても楽しかったです。
しかし、実験準備室には薬剤などが置いており、赤外線レーザーが取り付けてあるのですね。
警備室に警報が入り、すぐに警備員がきて、つかまりました(笑)
パトカーが3台も来て、ちょっとした事件になってしまいました。
直接、校長先生から叱られました。珍しいことですよね(笑)
担任の先生は責任を感じたのか、次の日丸坊主にしてきました!(びっくり!)
この時に覚えたのは「遊びは誰かに教わるもんじゃない。自分で創るものだ!」ということでした。
そして、「目に見えないからと言っていたずらはしちゃいけいない」ということでした(笑)
中学時代は今までの中で、かなり楽しかった記憶しかありません。
ケンカは嫌いなやんちゃ坊主でした。(笑)
僕らの中学生時代は、「ビーバップハイスクール」や、「湘南爆走族」が流行った時代です。
僕は中学生の時には眼鏡をかけていたので、友達からは「菊リン」と呼ばれていました(笑)
兄が3歳上だったので、兄の卒業と同時に、私が入学。
兄おさがりのめっちゃ「つぶれたカバン」と、当時「ボンタン」と言われたおさがりの学生ズボン。
何回か先輩に呼び出されました(笑)
でも、兄がいたからか、「古泉君の弟か」といじめられることもありませんでした。助かりました。
中2で眉毛をそり(バクチクの影響ww)、よく熊先生や木下先生に怒られてました。
でも、見限ることのない先生方のおかげで、非行がそれ以上悪化することはありませんでした。
その時の友達や先生方とは今でも、飲んだりしています。
中3の時の木下先生が「お前は公立じゃだめだ。私立で羽伸ばせ!絶対私立が合っている!」
と言ってくれて、無事に?推薦で日大高校に進学することになりました。
あの時は「やりたいことが見つからず、ただ無気力と反発の時代。」
でも深すぎるほどの友達がたくさんできました。
今でも朝まで飲みに行ったりするもんね・・・。若いよね。
次の日死んでるけどね
高校時代、バンドブームがありました。
ボウイ、ジュンスカイウォーカーズ、ブルーハーツ、Xジャパン、バクチクなどが流行っていました。
X以外は知らない人も多いかもしれません。
バンドを結成し、長崎の「スタジオDO」というスタジオで、今となっては、ガチャガチャ?ギターを弾いていました(笑)
そして、ライブをするためにチケットを友達に買ってもらって、ライブをしていました。
しかし、今でもそうかもしれませんが、チケット販売は高校生はしてはいけないのです。
見事に学校にばれて、「私以外は」1週間の謹慎を食らいました(笑)
その時、担任だった梅本先生はたまたま、エリッククラプトンやビートルズが大好きな先生で
「そんなもん、ひと殴ったとかじゃないっちゃけん、ライブしたぐらいで謹慎なんかせんでいい!」
と先生らしからぬ?理由で私だけ、謹慎処分は免れました(笑)その当時、梅本先生は学校の労働組合の組合長だったらしいのですが、子供が社会に対して反抗するように、何か、学校に反発されていたのかもしれません。
大人の事情なので詳しい内容はわかりませんが、今では高校の教頭先生になっていらっしゃいます。(笑)
ほかのバンドメンバーは、一週間後みんな丸坊主で登校してきました。
私はそれがおかしくておかしくて、笑い転げてしまいました(笑)
人は坊主にすると、頭がみんな凸凹なんです。チョー笑えます。(笑)
しかし、その後、その事件を知った父親がバリカンを買ってきて、私も無理やり坊主にされましたが(笑)
「人を笑うとバチガ当たが」」ことと「人と足並をそろえる」ことを学びました。
学校では、国語と英語が好きでした。
なぜか?解答に△があるからという適当な性格がよく表れています。
英語の大学に進みたい!と思ったのですが、大学受験に失敗し、静岡県の夜学。しかも短大。に進むことになりました。
その当時は昼間は大学の職員として働き、夜は学校に通えるという「学生職員」という制度がありました。
昼は社会人、夜は学生というものですね。
大学といえば、素敵なキャンパスで、学生生活を謳歌する!というイメージですが、私は夜で、しかも年代は40代のおばちゃん(当時のイメージね。)や役所で働いている人が夜に勉強しにくる。
また、高校でいじめられていたような感じの子や、絶対ヤンキーだったやろ!っていうバラエティな顔ぶれで、しかも一クラス。
卒業まで顔ぶれが変わらないので、高校の延長みたいなもので、楽しかったです。
お酒も飲めて、煙草も吸える(?)年齢だったので、毎日合コンみたいなことをしていまいした(笑)
昼間は学校で働かないといけないのですが、遅刻も何回もしてしまって、上司の佐々木さんにはかなり迷惑をかけました。
でも、佐々木さんは自分以上の上司の方には遅刻の報告を一度もしなかったです。
社会のことをたくさんたくさん、教えていただきました。
「社会って、自分以外の人に迷惑を掛けちゃいけないところ。」だと学びました。
もちろん勉強はあまりせず、ぎりぎりで卒業だったかもしれません。
でも、短大なので、周りは女の子でいっぱい!毎日ほぼ合コン!
思い出は合コンと、ストリートファイター2、鉄拳です(笑)
周りの人にたくさん助けられたよね。今はその恩はすっかり忘れてるよね。
忘れてないわ
この時くらいから、要領が良く(笑)、担任の先生から気に入られていたようで愛知県春日井市の中部大学に編入しました。
またこれから二年間、短大のようなハッピーライフ!が訪れるのか!^^
と楽しみに編入しましたが、淡い期待はもろくも崩れ去りました(笑)
大学三年生なので、グループができてしまっていて、友達はほぼできませんでした(笑)
この時ラッキーだったのは「本」に出会ったことです。
「沢木耕太郎」の「深夜列車」はめちゃめちゃはまりました。
私と同じような年代の少年が世界中を列車で旅をする(というような内容だったと思う)という本です。
そして、今でないとできないような経験をしよう!ということで、夜のクラブ(女の子がいる方ね)にアルバイトに行くことにしました。極端すぎる(笑)
時給が当時1000円くらいでなかなかいいバイトだったので、1年ちょい行きました。
座って1万円という会員制のクラブだったので、来られる方はだいたいが社長さんや、役員クラスの方々、そして、少し危ない方々(笑)がお客様でした。
その時に学んだことは「女は怖い・・・」ということでした。
でも、いろんな世界があるんだな~と勉強させていただきました。
そして、ここから就職活動に入り、呉服屋さんに就職します。
ここからつらかったことや、前代未聞の「月間マイナス売上」という記録を作ってしまったり・・・波乱万丈の会社ものがたりが始まります。
人生いろいろだよね・・・。
続きはまた次に(いつか・・・そのうち)